富増章成 受験の日本史

授業の補足、自宅学習の人もがんばってね。

日朝関係の復習をしよう

山川出版社『詳説 日本史B』(B309)より引用

 

p7

…世界の動きに対し、更新世旧石器文化から完新世縄文文化へと進んだ日本の社会は、中国・朝鮮半島の農耕文化の影響を受けて弥生文化を生み、国家の形成を進め、律令制を導入して古代国家を築いた。しかし、支配層としての貴族の地位は、やがて各地に成長してきた武士によって制約を受けるようになった。

 

p18

・こうした大型の墳丘墓や多量の副葬品をもつ墓の出現は、集団の中に身分差が現われ、各地に強力な支配者が出現したことを示している。

 

p19

弥生時代中期の多量の副葬品をもつ甕棺や、あるいは後期の大きな墳丘をもつ墓の被葬者は、こうした小国の王であろう。

 

p21

・これら小国の王たちは、中国や朝鮮半島の先進的な文物を手に入れるうえで有利な位置にあり、他の小国より倭国内での立場を高めようとして、中国にまで使いを送ったのであろう。

 

p23

・それは古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。

 

p26

高句麗の騎馬軍団との戦いなどから、乗馬の風習がなかった倭人たちも、騎馬技術を学ぶようになり

 

p27

…この間、倭国百済加耶からさまざまな技術を学び、多くの渡来人が海をわたって、多様な技術や文化を日本に伝えた

 

p27

このような朝鮮半島や中国とのさかんな交渉の中で、より進んだ鉄器・須恵器の生産、機織り・金属工芸(口絵②)・土木などの諸技術が、主として朝鮮半島からやってきた渡来人たちによって伝えられた。

…ヤマト政権は…また、漢字の使用も始まり…

 

p28

6世紀には百済から渡来した五経博士により儒教が伝えられたほか、医・易・暦などの学術も支配者層に受け入れられ、仏教も朝鮮半島から伝えられた。

 

p29

…これは各地の豪族が連合して政権をつくる形から、大王を中心とした近畿地方の勢力に各地の豪族が服属する形へと、ヤマト政権の性格が大きく変化したことを示している。

 

…これは、古墳の造営など考えられなかった有力農民層までが、古墳をつくるようになったことの現われである。

 

古墳時代支配者である豪族(在地首長)と被支配者である民衆の生活がはっきり分離した時代でもあった。

★P30 リッチな豪族の「居館」の写真

余剰生産物を蓄える倉庫群

 

p31

…また、氏の先祖神をまつることもおこなわれるようになったらしい。

 

6紀末から7世紀初めになると各地の豪族たちが営んでいた前方後円墳の造営が終わる。各地でその時期がほぼそろっているのは、ヤマト政権による強力な規制の結果であろう。

…こうした東アジアの国際情勢の大きな変化から、倭国大王をを中心とする中央集権的な国家形成をめざすようになり、古い首長連合体制やその象徴である前方後円墳の造営と決別したものであろう。

 

p32

…さらに7世紀中頃になると、近畿の大王の墓が八角墳になった。これはそれまで、規模は大きいが各地の首長層と同じ前方後円墳を営んでいた大王が、大王にのみ固有の八角墳を営んで、一般の豪族層を超越した存在であることを墳墓のうえでも示そうとしたものであろう。