ちょっと日本史と関係ない話なんですがね(まあまあ、関係あるといえばあります)。
日本でいうと、戦国時代の頃(〜安土桃山、江戸時代)なんですが、
オランダは、スペイン王フェリペ2世(フィリピンの起源の名前の人)に抑え込まれていたんです。理由は宗教的なことですが、省略。
ところが、オランダ人も頑張って、
1581年、ネーデルラント連邦共和国独立をかちとりました。
ですが、
イギリスは、オランダを応援しているので(同じプロテスタントだし)、
これに怒ったカトリック国スペイン(イスパニア)のフェリペ2世は
が…、負けてしまったんですよね〜。
(映画『エリザベス ゴールデン・エイジ』のシーンがすごいです)。
ちなみに
★ゴロ…パッパと刀狩・海賊
1609年には、事実上オランダの独立が確認されました(オランダ独立戦争)。
日本は江戸時代に入ってます(1603年)
オランダはすでに、1602年には株式会社の形をとった連合東インド会社をつくって、アジアへ進出しています。
後にオランダ東インド会社のアジア拠点は、ジャワ島のバタヴィア(今、インドネシア)です。
これは、近現代でまた使うので覚えておきましょう。
オランダとインドネシア(同じく試験に出るインドシナと違うよ!)
↓(俺もジジイだなぁ。これ読むと涙が出る)
オランダは香辛料貿易の実権を握っていきました。
1641年には、ポルトガル領マラッカを占領し、同じプロテスタント国(新教国)のイギリスと対立します(アンボイナ事件)。
こうして、
オランダは、日本の鎖国で、スペイン(イスパニア)、ポルトガルなどが締め出されているのに、出島にいるわけです。イギリスも1623年に平戸商館を閉じてしまいました。
★ゴロ…1641 オランダ人を出島に移す
いろいろ(16)よい(41)出島
徳川家光(1623)
★「家光兄さん」でしたね。
「家光兄さん」(1623)からの鎖国への年表をよーく見て、
赤本を解いてね。