まず、唯物史観をカンタンに紹介しておきましょう。
マルクスは、ヘーゲルの観念論的弁証法を唯物論的弁証法に逆転しました。
ヘーゲルの歴史法則を大雑把に分けると、
①王が自由である段階
②貴族が自由になる段階
③民衆が自由になる段階
となります(諸説あり)。
これは、絶対精神(神)が弁証法的に自己展開をすることにより、歴史が自由へと向かっていくということが決まっているという話です。
ヘーゲルの観念論は汎神論なので、世界全体が神だということです。つまり、ゲームで言えば、アプリが神なのです。そして、プログラミングはすでになされていますから、ゲームアプリは、必ず展開していってゴールを迎えます。
この宇宙全体は、絶対精神(神)なので、そのなかに過去から未来のすべての情報がプログラミングされています。
よって、プレイヤーである人類は、段々とステージをクリアして、「自由」になっていきます。そして最後にゴールを迎えるわけです。
ヘーゲルによると、歴史の法則は、①王という少数の人間が自由である段階から、②貴族というもうちょっと多めの人間が自由となっていき、③最後は、すべての人が自由になっていくという展開をします。
これが、絶対精神の歴史的な自己展開です(自己展開とは、電子レンジでチンするようなもの。だんだん解凍されて、はいできあがりみたいなもの)。
しかし、絶対精神(神=宇宙のプログラム)が自己展開するには、弁証法的に展開するしかありません。
まず、安定した段階(たとえば、絶対王政)→矛盾が生じる状態(民衆が「パンをくれー」とさわぎだす)→そして、革命が起こり絶対王政から次の民主制の段階へと高度化する。
この三段階をもって歴史が公式的に展開するとされました。
だから、歴史が進んでいくには、なんども激しい弁証法的な動きが起こります。要は、トラブルの連続とそれを乗り越えていくという三段階を無数に繰り返して、人々は自由を勝ち取っていくということなのでした。
さて、この人類の歴史は自由へと進む歴史であるというのは、宇宙にプログラミングされています。だから、必ずそうなります(ヘーゲルによると)。
マルクスは、この絶対精神(神)をとっぱらって、物質の世界に置き換えます。まあ、フォイエルバッハとかいろんな人が唯物論を主張しましたので、いろいろですが、とにかく、この世界は精神的なものが動かしているのではなく、物質のパワーが動かしているということが主張されました。
となると、物質の法則がわかれば、科学的に歴史の法則がわかるということになります。そこで、当時はニュートン力学の時代でしたから、作用・反作用の法則、また、質量転換の法則など、物理法則を歴史に当てはめていくという試みがなされました。
今から考えると、相対性理論や量子力学のない時代ですから、ちょっと古いと言えば古いのですが、すべてが物質でできていて(唯物論)、その物質の運動が歴史を作っていくという考えは、斬新で科学的だったのです。
さて、この唯物史観の定式だけをまとめてみます。
が、なにを言っているのかわけがわからないのが普通です。
あまり、気にしないでください(そのうちわかります)。
●特定の生産力の発展段階は特定の生産関係の発展段階と対応する。
●生産関係のあり方は、社会の経済的構造を形成する。
●生産力と生産関係は生産様式とまとめられ(土台・下部構造)、その基礎の上に法律的及び政治的上部構造(イデオロギー)が構築される。
●つまり、ヘーゲルは精神が物質として現れると考えていたが、その逆で、物質的存在が意識(精神的なもの)を決定する。
●生産力と生産関係との間には矛盾を含んでいるので、それによって生産量は発展する。けれども生産関係が生産力にとって限界となったとき、革命によって生産関係が変革され、新しい生産関係は生産力に適応するという新しい社会に発展する。
●これが、過去に何度も繰り返されて歴史は進んできているので、今までの歴史はすべて階級闘争の歴史あり、生産関係を破壊するために、階級闘争をしなければならないことになる。それは暴力革命による。
というわけで、ようやく、ヘーゲルからマルクスへの弁証法の説明が終わりました。
次は、生産力、生産関係、下部構造と上部構造、生産関係の矛盾、階級闘争、革命、社会主義への移行、さらに共産主義への移行という内容をカンタンに説明します。
社会主義の話、なかなか終わらね〜!
社会民主党、日本社会党、日本共産党、労働農民党(無産政党)の話に、なかなかたどりつけねぇ〜!
(つづく)