さて、日銀が金利を上げましたが、これに関することは、前から言われていて、アメリカ(FRB)ではすでに行われていました。
山川の教科書(詳説日本史B)ですとP407からの記述と関連が深いです。
毎年、試験には出ているので、もう一度確認しましょう。
まず、話はさかのぼること、1980年代には、日本の対米貿易黒字が増えました。日本の自動車がよく売れて、アメリカが怒ってました。
テレビでよく、「日本に制裁を加えなければならない」みたいなことをアメリカ政府高官みたいな人が言ってました。
P407
「…アメリカは自動車などの輸出自主規制を求め、農産物の輸入自由化をせまった」
(いやー、怒ってますね、アメリカ。いつも日本は怒られてますが…)。
「政府は、1988(昭和63)年に牛肉とオレンジの輸入自由化を決定し、1991(平成3)年に実施した。また、1993(平成5)年には米(コメ)市場の部分開放を決定したが、アメリカはその後も対日批判を強め、市場開放をさまたげる日本の「不公正」な制度や慣習を問題とした」
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コメ市場が紛らわしいな。米市場って…。
★試験には出ませんが、
1994(平成6)年、日本は国際交渉(GATT・ウルグアイラウンド交渉)で、一定の比率で毎年増加する米の輸入義務を受け入れることを約束しました。
P408
「1985 (昭和60)年の5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5、米・日・独・仏・英)で、ドル高の是正が合意されると(プラザ合意)、円高は一気に加速し、輸出産業を中心に不況が深刻化した(円高不況)。しかし、1987(昭和62)年半ばから内需に主導されて景気が回復した」
「この内需景気は、地価や株価の暴騰をともなって進行し、のちに「バブル経済」と呼ばれることになった。超低金利政策のもとで、金融機関や企業にだぶついた資金が不動産市場や株式市場に流入したのである」
★以下試験には出ませんが、どういうことか解説しておきます。
プラザ合意をしたあと、円高が進行し(いっぱい買える。日本がたくさん輸入するようになる)、そのために、今までは好調だった輸出産業がダメになってしまいました。
そこで、日銀は日本内部の需要を高めるため(内需、国内でいっぱいものをつくって売れば企業も助かるから)、景気対策として公定歩合の引き下げをしました(金利、日銀が金利を下げると、市中銀行がバンバンお金を企業に貸せる)。
銀行もどんどん会社にお金を貸すので、お金の使い道がなくて、株式と不動産に投資します(これが金余り相場です)。
すると、また株と土地価格が上がります。それを売れば、儲かります。また、買います。売ると儲かります。こうやって、異常な高騰がふくらんだ経済を「バブル経済」と言います。
どんな感じかは、映画『バブルへGO!』というのがあるので、そのうち見てください。金があまりすぎて、六本木ではタクシーが捕まえられず、みんなが万札を振りかざしてタクシーを止めるシーンがあります。
このバブル崩壊がなぜ起こったのかは、教科書に書いてありません。というのは、諸説あるからです。
価格上昇が異常であったことから、日銀は公定歩合を引き上げる金融引き締めを行ったからだという説があります。この引き締めをきっかけに株価と土地価格が大暴落し、バブル崩壊になったという考え方があります。
山川用語集のP372
超低金利政策
も読んでおきましょう。