トマスワンニャン:富増章成

歴史と思想をくっつけるとちょっと便利

琉球・沖縄のテーマ史を復習しよう

沖縄のテーマ史はよく出ます。

沖縄旅行にも役立つので、ぜひ覚えましょう。

 

まず、山川出版社「詳説日本史B」の教科書

P109

です。

 

めちゃくちゃ試験に出るところ!

 

按司、グスク、北山・中山・南山

 

琉球では、12世紀頃からそれまでの貝塚文化」を経て農耕生活が始まり、グスクが形成

琉球には弥生文化ではなく「貝塚文化」と言います

P15の欄外(下の方)もすごく出ます。

北海道=続縄文文化

南西諸島(琉球など)=貝塚文化

 

グスクは当初は集落や聖地からなっていたが、…しだいに立派な石垣による城がつくられる…。

(山川「詳説日本史B」教科書P109 の下から4行目くらい。誰も読まんところ。注意しましょう)。

 

ページは飛んで、山川出版社「詳説日本史B」の教科書のP129〜130

(何回も山川教科書と繰り返してくどいようですが、引用しているページです。教科書のナンバーは、日B309です←表紙に載ってます)。

 

1429年(永享元)年、中山王の尚巴志が三山を統一し、琉球王国

(これは、播磨の土一揆が起こっているころです)

 

琉球は明や日本などと交易を結ぶとともに、海外貿易をさかんに…。

その下も読んでおきましょう。

 

中継(なかつぎ)貿易

首里那覇

 

あと、首里城の写真を見ておきましょう(私大ではその横の説明も出ます)。

 

山川出版社「詳説日本史B」の教科書

のP157

上から四行目に琉球とありますが、

国の枠をこえて広く中継貿易を行っていた。ヨーロッパ人は…中継貿易に参入してきた…。

こうして、

ポルトガル人の進出で、琉球貿易は衰退していったのでした。

 

P168

三味線

のところを読んでおきましょう。

 

P177

山川出版社「詳説日本史B」の教科書です!)

■…家康は朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復を交渉したが、明からは拒否…。

 

あと、P179の琉球についての文を読んでおきましょう。

P181 

琉球王国は、1609年(←これは入試にでたねー!)、薩摩の島津久の軍に制服され、薩摩藩支配下に入った。

薩摩藩は、琉球にも検地をおこなって石高制による農業支配を確立

通商貿易権も掌握した。

 

琉球王国の尚氏を石高8万9000石余りの王位につかせ、独立した王朝として中国との朝貢貿易を継続させた。

 

■欄外に黒砂糖のことが書いてあるので読みましょう。

 

まあ、ここは、「中国との朝貢貿易を継続させた」のところをよく、正誤問題で、「継続してなかった」みたいな誤り選択肢にするパターンが多いですね(授業受けた人は、そういうのありましたよね)。

 

琉球使節が来る話と、P182の絵をよく見ておきましょう

(私大は、絵の下の説明も出ます)。

 

謝恩使(国王の代替わりごと)と慶賀使(将軍の代替わりごと)は必ずでますよね。

この下の文が重要!

 

このように琉球は、幕府と中国との二重の外構体制を保つことになった。

 

ここが正誤問題で「幕府だけ」とか「中国だけ」とか誤り選択肢でひっかけようとしてくるので注意しましょう。

 

さて、

P182

欄外のところ

施設の行列には、異国風の服装・髪型…旗・楽器など…、あたかも「異国人」としての琉球人が将軍に入貢するようにみせた。

 

入貢なんですよね。だから、対等じゃないわけ。

 

P204にはもう一回、黒砂糖のことが書いてあります。

P237 清・朝鮮・琉球の船は打ち払いの対象外です。欄外を読んでおきましょう。

 

山川出版社「詳説日本史B」の教科書

P242

薩摩と琉球の密貿易

(欄外も見たほうがいいですね)。

 

P242 の欄外

俵物、琉球王国を通じて清国に売る密貿易

 

P251

琉球王国那覇に寄港しているペリーのことが書いてあります。

 

あとは、もうくどいようですが、

P273

琉球処分までの流れ

これは、むちゃくちゃ出題されるので、ページ全体を読んでおきましょう(欄外もね)。

 

P370

欄外にアメリカ軍の直接軍政のことが書いてあります(間接統治ではない)。

P366

コラムをサラッと読んでね。

 

P367

1945(昭和20)年3月に硫黄島を占領したアメリカ軍は、4月にはついに沖縄本島に上陸し、…(沖縄戦

このあたりも読んでおきましょう。

 

P377

コラムを読んでみましょう。

復員と引揚げ

沖縄からも引揚者がみられます。

 

P383 

サンフランシスコ平和条約では、琉球アメリカの信託統治とあります(史料の中に書いてあります)。

 

P391

このページは絶対必要でしょう。

山川出版社「詳説日本史B」の教科書です!)

ベトナム戦争の前線基地

「基地の島」

祖国復帰運動

ベトナム戦争の激化とともに返還問題が浮上

佐藤内閣の「(核兵器を)もたず、つくらず、もち込ませず」の非核三原則

 

1968年 小笠原諸島の返還

 

翌年の日米首脳会議(佐藤・ニクソン会談)は「核抜き」の沖縄返還で合意しました。「核抜き・本土並み」と出題されるときもあります。

 

★参考までに、「核抜き・本土並み」を説明しておきます。

「核抜き」は、沖縄の全ての米軍基地から核弾頭を完全撤去するということ。まあ、そのままの意味です。

「本土並み」は、沖縄に日本の法・経済制度や日米安保条約を適用するということ。だから、沖縄の道路は右側車線だったのですが(アメリカが信託統治してたから)、沖縄返還で、本土と同じ左側車線になりました。

1971年、沖縄返還協定→1972年協定発効(沖縄の日本復帰実現)

(欄外も読みましょう)。

あと、同じくP391の嘉手納基地の写真を見ておきましょう。

写真の下の説明も読んでね(B52なんだよね。B29じゃないんだよね…)。

 

P414のアメリカ軍兵士の女子小学生暴行事件も読んでおきましょう。

 

私大の難関大だと、これに関する用語がまだ出ます。

用語集で追加しましょう。