トマスワンニャン:富増章成

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筑紫国造磐井の乱 史料

 継体天皇二十一年夏六月壬辰の朔甲午、近江毛野、衆六万を率て、任那に往きて、新羅に破られし南加羅・晩己呑を為復し興建てて、任那に合せむとす(がためなり)。是に、筑紫国造磐井

新羅,是を知りて,  密に貨賂を磐井が所に行りて,勧むらく,毛野臣の軍を防退へよと。是に,磐井,火・豊,二つの国に掩ひ拠りて,使修職らず。…

二十二年冬十一月甲寅の朔甲子,大将軍物部大連施鹿火(物部麁鹿火),親ら賊の帥磐井と,筑紫の御井郡に交戦ふ。…遂に磐井を斬りて,果して橿場を定む。十二月に,筑紫君葛子,父のつみに坐りて誅せられむことを恐りて,糟屋旦立を献りて,死罪贖はむことを求す。

※糟屋の屯倉

(『日本書紀』)