直前なので、
教科書のより細かいところを拾っておきます。
★5年くらい前から、早稲田大学は教科書から、なんでも出します
(旧課程の問題集はやらない方がいいでしょう。もう二度とでないのが入ってるから)。
教科書P220
町火消の写真の説明
いろは47組のうち「へ・ら・ひ」組は音が悪いので「百・千・万」と改めた。
(のちに48組に編成された)
【欄外】
町人足役→鳶人足
御触書寛保集成は1615(元和元)年以降の触れを類別に編纂したものだが、同時に以後の幕府の記録保存を命じた。御触書集成の編纂は幕府事業として引き継がれた。
また吉宗は、次男宗武(むねたけ)と四男宗尹(むねただ)にそれぞれ田安家・一橋家をおこさせ、朝廷との狭量関係も維持して徳川将軍家の安定をはかった。
【欄外】
9代将軍徳川家重の次男重好(しげよし)に始まる清水家とあわせて、三卿と呼ばれる。
地主手作(じぬしてづくり)
零細農民を年季奉公人などとして使役しておこなう地主経営をいう。