トマスワンニャン:富増章成

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林子平『海国兵談』

林子平『海国兵談』

 当世の俗習にて、異国船の入津は長崎に限りたる事にて、別の浦江船を寄する事は決して成らざる事と思へり。実に太平の鼓腹する人と云うべし。既に古は薩摩の坊の津筑前博多肥前平戸、摂州の兵庫泉州の堺、越前の敦賀等え異国船入津して物を献じ、物を商いたること数多あり。

 

☆異国船が来るから油断するなと言ってます。

 

是に因て思へば、当世長崎の港口に、石火矢(大砲)台を設て備を張が如く、…当時長崎に厳重に石火矢の備有りて、却て、安房・相模の海港に其備なし、此事甚不審。

 

☆長崎に大砲を置いておき、千葉県や神奈川県のところに置かないのは変だと言っています。

 

…細かに思へば、江戸の日本橋より唐・阿蘭陀まで境なしの水路なり。然るを此に備へずして、長崎のみ備るは何ぞや。小子が見を以てせば安房、相模の両国に諸侯を置て、入海の瀬戸に厳重の備を設けたき事なり。

 

林子平が本当のことを言ったら、老中松平定信に怒られてしまいました。

しかし、1792年にラックスマン根室に来航したら、松平定信は急に態度を変えて、自ら海岸パトロールをしたそうです。