トマスの歴史総合:富増章成

日本史と世界史の近現代をはやめに勉強しましょう!

ロシア使節レザノフの入港許可証

山川教科書

P235

「ロシア使節レザノフが、ラクスマンのもち帰った入港許可証をもって長崎に来航したが、幕府はこの正式使節に冷淡な対応をして、追い返したため、ロシア船は樺太択捉島を攻撃した。

 

山川の用語集では、

レザノフが、アレクサンドル1世の正式使節で、4人の漂流民をともなって、ラクスマンの持ち帰った信牌をもって長崎に来航

と説明されています。

 

信牌(入港許可証)は、ちょくちょく出題されていました。

ラクスマンは大黒屋光太夫をつれてきました。

こちらは、よく出るエカチェリーナ2世でしたね。

 

蝦夷が直轄となり、

1904年、レザノフが来航した後、

1807年、西蝦夷地直轄とともに、

松前奉行(もと箱館奉行)改称

 

蝦夷地→西蝦夷

の順番と地図に注意(北海道のところ)

 

 

ロシア軍艦蝦夷地襲撃事件は、レザノフの部下が中心となって、ロシア軍艦が樺太択捉島などを襲撃した話です。

 

1811年、ゴロー(ウ)ニン事件は国後島に上陸したロシア軍艦艦長ゴローウニンを捉えて監禁した事件です。

高田屋嘉兵衛も抑留され、ゴローウニンの釈放でがんばりました。

両者交換となって、解決します。

 

1821年に、松前奉行はとりあえずなくなります(蝦夷地は松前藩に還付

 

1811+10で1821と覚えましょう。

 

ぺろっ!