トマスワンニャン:富増章成

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シベリア出兵

日本は、国際的地位の向上や北洋漁業などの経済的権益の拡大をもくろんで、連合国のシベリア出兵の呼びかけに応じた。

出兵は1918(大正7)年8月に始まり、アメリカ・イギリス・フランスなど連合国各国が派遣した軍隊が計2万人余りだったのに対し、日本はアメリカと合意した兵力量の10倍近い7万人余りの軍隊を派遣した。

 

ニコライエフスク(尼港)で日本人住民と日本兵、約740人のほとんどが革命派のゲリラ部隊に殺害される事件(尼港事件)がおきた。日本はこの事件を契機に石油や石炭の資源獲得をねらって北樺太(北サハリン)を占領した。

山川出版社・歴史総合)