山川教科書(以下同じ)
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日本列島で1万年近くも縄文文化が続いているあいだに、中国大陸では紀元前6000~5000年ころ、北の黄河中流域ではアワやキビなどの農耕がおこり,南の長江(揚子江)下流域でも稲作がはじまり、農耕社会が成立した。
さらに紀元前6世紀ころから鉄器の使用がはじまり、春秋・戦国時代には農業生産も著しく発展した。
およそ2500年前と想定される縄文時代の終わりころ、…
…紀元前4世紀頃には、西日本に水稲農耕を基礎とする弥生文化が成立し、やがて東日本にも広まった。
こうして北海道と南西諸島をのぞく(脚注)日本列島の大部分の地
域は、食料採取の段階から食料生産の段階へとはいった。
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…鉄と錫(すず)の合金である青銅…
…稲の穂摘み用具である石包丁、木材を伐採し加工するための石斧類…
…九州北部や中国・近畿地方などで発見されている弥生人骨の中には、縄文人骨に比べて背が高く、顔は面長で起伏の少ないものがみられる。しかし弥生文化には、土器づくりの基本的な技術や打製石器・竪穴住居など、明らかに縄文文化の伝統を受け継いでいる面もある。
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…弥生文化は、金属器をともなう農耕社会をすでに形成していた朝鮮半島から、必ずしも多くない人びとがその新しい技術をたずさえて…
…刀子(とうす)などの鉄製工具…、後期には石器の多くが姿を消し、かわって鉄器が普及した。
…地域によっては陸稲(りくとう)やさまざまな雑穀の栽培がおこなわれ、また農耕と平行して狩猟や漁労もさかんで、ブタの飼育が…
…掘立柱の高床倉庫や平地式建物…
…また東日本では、初期には死者の骨を土器に詰めた再葬墓がみられる。
盛り土を盛った墓が広範囲に出現するのも、弥生時代の特色である。
…直径40m余りの円形の墳丘の両側に突出部をもつ岡山県の楯築(たてつき)墳丘墓、山陰地方の四隅突出型墳丘墓…
…甕棺墓の中には、三十数面もの中国鏡や青銅製の武器などを副葬したものがみられる。