山川教科書P241
天保の飢饉…北関東の常陸・下野両国の人口は、享保年間(1716~36年) に比べ、19世紀半ばには約30%減少し、田畑が荒廃する現象もみられた。
逆に生産力の高まった周防や薩摩では、人口が約60%も増加する地域もあった。
P241
「絵」の下の説明
結城縞の生産(『尾張名所図会』)
江戸時代中期から綿織物生産が 全国に広まった。
図で描かれる結城縞は、高度な技術により極 細の綿糸と絹糸とを交織する上級品で、19世紀前半から、尾張西部で生能がさかんになった。
上図は,織屋(おりや)の中で多くの女性(織女(しょくじょ))たちが高機(たかばた)などで働く様子である。
★こういうところは、ジェンダー的に、試験に出るところです。
すでに江戸時代前期において摂津の伊丹・池田・灘などの酒造業では、マニュファクチュア経営がみられた。
★マニュファクチュアってなんで出るんですかね。
これは、実は、マルクス主義と関係があるのです(話は長いから省略)。
↓
興味ある人はここ