二所朝廷の対立で、平城太上天皇上皇は平安京を廃して、平城京へ遷都する詔勅を出しました。
びっくりした嵯峨天皇は、いろいろ考えてやっぱり「遷都はだめ!」って言います。
まあ、そうでしょう。
奈良時代に逆戻りってことですからね。
平城太上天皇は怒ってしまい、東国で挙兵を決断します。平城上皇の動きを知った嵯峨天皇は坂上田村麻呂にこれを抑えさせました。
平城太上天皇は出家し、薬子は自殺しました。
ところで、平城太上天皇と薬子の関係がビミョーです。
まず、安殿(あて)親王(のちの平城天皇)が薬子の長女を后にすることになりました。いっしょにお母さんの薬子がついてきました。
ところが、安殿親王は后にしたいと思った娘より、その母・薬子に夢中なってしまったのでした。
というわけで、藤原薬子(式家)と平城太上天皇は、教科書ではいきなり、薬子の変(平城太上天皇の変)が出てきますが、その前にいろいろあったんだと思ってください。
薬子の兄、藤原仲成(式家)は、けっこう酒癖も性格も悪かったらしいです。妹の薬子が朝廷で自由な行動をすると(薬子はけっこう偉かったから)、仲成は、妹の権威をかりていばり散らし、いろんな王族にいじめをしました。
仲成は、810年、薬子の変(平城太上天皇の変)のときに、射殺されてしまいますが、みんな自業自得だと言ったそうです。
あと、系図を見ましょう。