トマスワンニャン:富増章成

歴史と思想をくっつけるとちょっと便利

建武の新政 史料『梅松論』

去程に京都には君伯耆より還幸なりしかば、御迎へに参られける卿相雲客、行粧花をなせり。

後醍醐天皇は、伯耆鳥取県)の名和長年によって隠岐を脱出しました。

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今度忠功を致しける正成・長年以下供奉する武士その数知らず。宝祚は、二条の内裏なり。保元・平治・治承より以来、武家の沙汰として政務を恣にせしかども、元弘三年(1333)の今は天下一統に成しことこそ珍しけれ。

建武の新政

山川「詳説日本史」P121

翌1334(建武元)年、年号を建武と改めたので、天皇はこの政治を建武の新政という。

 

楠木正成

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君(後醍醐天皇の御聖断は延喜・天暦のむかしに立帰りて、武家安寧に比屋謳哥し、いつしか諸国に国司・守護を定め、卿相雲客、各其の位階に登りし躰、実に目出度かりし善政なり。武家、楠・伯耆守・赤松以下山陽・山陰両道の輩、朝恩に誇る事傍若無人ともいひつべし。
 御聖断の趣、五畿七道八番にわけられ、卿相を以て頭人として決断所と号して新たに造らる。是は先代引付の沙汰のたつ所也。むかしのごとく武者所ををかる。新田の人々を以て頭人にして諸家の輩を詰番せらる。古に興廃を改て、今の例は昔の新儀なり、朕が新儀は未来の先例たるべしとて新なる勅裁漸く聞えけり

 

このフレーズもよく出ます。

今の例は昔の新儀なり、朕が新儀は未来の先例たるべし

(今、あたりまえのことは、昔は新しかった)←iPadみたいなもんでしょう。

(私の建武の新政は、未来においてあたりまえになるだろう)←尊氏の裏切りで、見事に沈没…。

 

↓尊氏がヤバすぎる