トマスワンニャン:富増章成

歴史と思想をくっつけるとちょっと便利

江戸時代の終わりのあたり

江戸時代の終わりのあたりと近現代をはやめにやろう!

 

山川出版社の日本史教科書より

 幕府や諸藩が体制再建につとめていたころ,日本の近海にはロシア船やイギリス船があらわれ,幕府は外交体制の変更をせまられるようになった。


 1792(寛政4)年,ロシアの使節ラクスマン根室へ来航し,ついで1804(文化元)年にはレザノフが長崎へきて通商を求めたが,幕府はこれを拒絶した。

 

幕府は近藤重蔵間宮林蔵をあいついで蝦夷地調査にむかわせ,一時,蝦夷地を直轄にして警備をかためたが,ロシア船はしばしば蝦夷地にあらわれ,日本側と紛争をおこした。

 

1811(文化8)年には国後島でロシア艦長ゴローウニンをとらえ,2年間箱館松前に監禁した。事件は択捉航路を開拓した淡路の商人高田屋嘉兵衛の尽力で解決した。

 

☆ゴロ

1792(寛政4) ラッ クツー(92) マン

1804(文化元)年 やあ(8)、ワシ(04)はレザノフ

1811(文化8)年 やっいい(811)ゴロゴロ

 

ちなみに、蛮書和解御用も1811年です←これよく(入試に)使えます