2024-07-04 応仁の乱 山川「日本史探求」 P122 守護大名はそれぞれ細川方(東軍)と山名方(西軍)にわかれて戦い、主戦場となった京都は戦火に焼かれて荒廃した。 ●1467(応仁元)年5月、東軍は将軍邸を占拠して、いったん義政・義尚・義視を手中にしたが、翌68(応仁2)年11月、義視が西軍に移り、東西2つの幕府が成立した。