正長の徳政一揆
昔は、「正長の土一揆」と大ざっぱに言っていました。
最近は、教科書表記では正長の徳政一揆になりました。
1428年、正長の徳政一揆
ゴロ:一揆しにゃー(428)(ΦωΦ)
「正長元年九月 日条
一、天下の土民蜂起す。 徳政と号し、酒屋、土倉、寺院等を破却せしめ、雑 物等恣にこれを取り、借銭等悉くこれを破る。管領これを成敗す。凡そ亡国 の基、これに過ぐべからず。日本開白以来、土民蜂起是れ初めなり」
(『大乗院日記目録』)←これも出る
尋尊も出る!
一方、見分けにくいのが、
1441年、嘉吉の徳政一揆です。
これも、昔は嘉吉の土一揆と言いましたが、
教科書表記では、嘉吉の徳政一揆になりました。
(山川「詳説日本史」P133)
…近日四辺の土民蜂起す。土一揆と号し御徳政と称して借物を破り、少分をもって押して質物を請く。
あと、何と言っても柳生の徳政碑文ですね。
山川「詳説日本史」(B309)では、P133でコラムになっています。
山川「日本史探求」では、P120に載っています。
「奈良市柳生街道沿いの巨石に「正長元(1428)年より以前に関しては、神戸(かんべ)4ヵ郷には負債がいっさいない」という意味の一文が刻まれている。春日社領神戸4ヵ郷の郷民(ごうみん)が正長の徳政一揆の成果を記したもの」
山川「詳説日本史」(B309)では、コラムだったので、かなり詳しく説明されています。
「日本史探求」では、かなり内容が薄くなっています。
↓去年の1月に書いたもの