日本准三后某(足利義満のこと)、書を大明皇帝陛下に上る。日本国開闢以来、聘問を上邦に通ぜざること無し(日本国の始まり以来、中国に使者を遣わさなかったことはありません)。
某(足利義満)、幸にも国鈞を秉り、海内に虞れ無し。特に往古の規法に遵ひて、肥富をして祖阿に相副へしめ、好を通じて方物を献ず。金千両、馬十匹、薄様(鳥の子紙)千帖…。海島に漂寄の者の幾何人を…
(『善隣国宝記』文明二年 )
「肥富をして祖阿に相副へしめ」
と書いてますから、
祖阿(そあ)が正使で、肥富(こいつみ)が副使
これもたまに出ます。