室町時代の文化
南北朝文化←ここが盲点
東山文化
山川の教科書のP139〜
よく読みましょう。
P140
『増鏡』(源平争乱以後の歴史を公家の立場から記した)
伊勢神道の理論を背景に難聴の立場から…道理…北畠親房『神皇正統記』
…「二条河原の落書」にみられるように、武家・公家を問わず広く連歌が流行し…
茶寄合、闘茶、バサラ
のところも読みましょう。
南宋の官寺の制にならった五山・十刹の制(足利義満のとき、時期に注意)
★正誤問題だと南宋がなんかぜんぜん違う時代だったりする(明とか)。
あと、五山・十刹の制が本山末寺の制になっていて誤りというのもあります(それ、江戸時代でしょう)。
やっぱ、五山文学、義堂周信・絶海中津でしょう。
外交顧問もやりました。
★五山は欄外にのってます。
ゴロ:京都五山…天ぷら、しょう油、にんじん、とうふ、まんじゅう
猿楽・田楽→能
大和猿楽四座…今春・金剛・観世(結崎)・宝生座
東山文化
これは、禅の精神にもとづく簡素さと、伝統文化の幽玄・侘なので、写真をみるとなんか伝わってきます。
P143をよく読みましょう。
土佐光信が土佐光起(江戸時代)だったら不正解です。
狩野正信・元信
金工は後藤祐乗
→千利休(P168)
立花様式と次のP144の写真もみておきましょう。
ここで、ややこしいのが
これ
吉田兼倶は反本地垂迹説(神本仏迹説)→神道を中心に儒学・仏教を統合しようとする唯一神道を完成した。
室町文化の忘れやすのが庶民芸能です。
同じく
P145
南北朝時代に出た二条良基は連歌の規則書として『応安新式』を制定したが、『菟玖波(つくば)集』が勅撰集と同格にみなされてからは(准勅撰といいます)、和歌と対等の地位を築いた。
ゴロ:二はツー
さらに応仁の頃に、宗祇が出て正風連歌を確立し、『新撰菟玖波集』を撰して、弟子たちと『水無瀬三吟百韻』をよんだ。
ゴロ:犬が徘徊しそうかん?
連歌師…地方でも大名・武士・民衆のあいだに広く流行した。
P145
風流踊りの絵
P146
風流と念仏踊りがむすびついて、しだいに盆踊り…
P146 の文化の地方普及は、15世紀頃、足利学校などいろいろ書いてあります。
確認しておきましょう。