「政府は、明治十四年の政変の際に、天皇と政府に強い権限を与える憲法を制定する方針を決め、翌1882(明治15) 年には、伊藤博文らをヨーロッパに派遣して憲法調査に当たらせた」。
(山川出版社『日本史探求』P252)
よく、因果関係で流れがわかるといいます。
確かに、教科書の説明はわかりやすいですね。明治十四年の政変があったときに強い憲法を作りたいから伊藤博文を派遣したと考えれば、順番がわかります。
明治十四年=1881年だから、伊藤はその後に派遣だとわかります。
と、なんでも因果関係でわかれば世話ないんですが…。
暗記の方が多いような気がするんですがね。